プロフィール

ひがの義幸とは

ひがの義幸
趣味 フライフィッシング、クレー射撃
好きな音楽 ロック
好きなアーティスト アデル、ピンクフロイド、レッドツェッペリン
感動した映画 壬生義士伝
最近読んだ本 バシャール、エクトン
尊敬する人 道元禅師
座右の銘 一貫不惑
ペット 愛犬

福祉トータルサポートセンターを生んだ人情派

実は涙もろい人情派。そして何より子どもの笑顔が大好きです。過去の施策の一つ「福祉トータルサポートセンター」は、そんな想いから生まれました。 「医療」「保健」「福祉」「教育」など一貫した支援サービスが受けられる機関です。それまでバラバラだった窓口を一本化することにより、個人に寄り添い課題解決に向けた総合的な取り組みを軸に、クオリティオブライフの向上に貢献しました。

ひがの義幸 政治の原点

これまでの歩み

誕生

父:日向野 義光(ひがの よしみつ)、母:幸子(さちこ)の間に1958年6月18日6時32分、体重2,538gの元気な男の子が誕生、父と母の名前の一文字づつを頂き、義幸と名付けられる。やや小ぶりに生まれるも、よく飲みよく食べあっという間に健康優良児に。

※ 母は、私を出産後体調を崩して入退院を繰り返すことに。

幼少期

とにかくやんちゃでいたずら好きの子供でした。母が入退院を繰り返していましたので、私はその大半を近所の大人たちに育てられました。多くの大人たちに迷惑をかけ、多くの大人たちに可愛がられ、愛されてすくすくと元気に成長しました。

※ この頃、母の病状が判明、膠原病(こうげんびょう)と診断される。一年の大半を病床で過ごしていた母でしたが、退院時のわずか時間の全てをかけて私を守り、育て、愛情を注いでくれました。

小学校時代

とちぎ少年合唱団

昭和33年(1958年)6月18日

栃木県栃木市皆川町にて生まれる

昭和40年(1965年)

栃木市立皆川小学校入学
とちぎ少年合唱団での発表会の様子。
おすまし顔で、美声?を披露。

小学生と市長で市政を話し合う会

小学生と市長で市政を話し合う会
皆川小学校を代表して金子市長(当時)に鋭い質問をしたとか?
※ 今想うとこの頃すでに、未来を暗示していたのかも。

学生時代

学生時代

昭和46年(1971年)

栃木市立皆川中学校入学

足利学園高等学校卒業

日本大学短期大学部卒業

青年会議所時代

青年会議所時代

青年会議所時代、多くの仲間との出会いが人生を動かしていきます。自分の住むふるさと栃木の将来のことを熱く語り額に汗した大切な時間でした。

政治の師匠との出会い

知人先輩方の紹介で、故渡辺美智雄衆議院議員(当時自民党幹事長代理、通商産業大臣、その後副総理兼外務大臣となる。)と出会う。師に推され、全国自民党青年局青年部研修会に参加、政治のいろはを学ぶ。

「道在近」近くのことをやらずに、遠くのことをやってもダメだ。近くのやれることからやる。議論ばかりしておっても、歩かなければ、実行しなければ、実行は努力なんだ(ミッチー語録から)

政治にまごころを映し、国民の為の政治を貫いた偉大な政治家でした。

政治の師匠との出会い

全国最年少市議の誕生(当時)

市議時代

昭和62年(1987年)

28歳で栃木市議会議員初当選(当時 全国最年少市議)
皆川地区のみなさんや青年部、青年会議所の有志等多くの力が結集。

新人市議会議員として初登壇、今でも緊張で胸が高鳴りを抑えることが出来なかったことを覚えています。

40歳で栃木県議会議員初当選!最年少県議誕生(当時)

県議時代

平成11年(1999年)

40歳で栃木県議会議員初当選(当時 県最年少県議)
平成11年4月の改選で当選同期が11名誕生する。それぞれが個性派ぞろいの暴れん坊、当時の岩崎幹事長に11年に11人の世話の焼ける侍が誕生したと、漢字の十一を士(さむらい)と表し「一期生 士会(さむらいかい)」をスタートさせる。これまで光の当たらなかった障害者福祉施策に力を入れるなど積極的に議員活動を展開、縦割れ行政にもメスを入れ新たな地方行政の在り方を提言する。

44歳で栃木市長当選!最年少市長誕生(当時)

市長時代

平成15年(2003年)

44歳で栃木市長当選(当時 県最年少市長)
市議会議員、県議会議員の経験を活かし、新生とちぎの街づくりにチャレンジ。『きずなをむすぶ げんきをうみだす こころをはぐくむ』の3つのキーワードに市民の皆様に、マニィフェストを示し、ひとつひとつの政策を実行していきました。
※ いま想えば、ちょっと急ぎすぎたかもしれません。反省

市長時代

市長時代

旧栃木市のシンボル人形山車をPRするために東奔西走、ついに江戸天下祭り(日本橋)にその雄姿をご披露することに。

年間500件を超える挨拶、多くの市民の皆様と交流することが出来ました。

市長時代
市長時代
市長時代
市長時代
市長時代
市長時代

地元の東宮神社の例大祭にてご神馬と2ショット

地元の東宮神社の例大祭にてご神馬と2ショット

大相撲

大相撲の蔵の街栃木場所を開催、多くの市民の皆様が迫力満点の本物の力士の取り組みに沸きました。

授業

中学校に出前授業、中学生を前に自身の体験談と命の大切さを語る。

栃木市消防団通常点検にて
栃木市消防団通常点検にて

栃木市消防団通常点検にて

防災訓練の一コマ
防災訓練の一コマ

防災訓練の一コマ

1市3町の合併

迷走を繰り返した1市3町の合併を成立。

本当に長い長い道のりでした。ご協力いただいた関係各位、支えて頂いた当時の職員の皆様に感謝です。これを機に現在の新生栃木市の骨格を作ることができました。

子どもたちの為に

すべては、
無限の可能性を秘めた
大切な子供たちの為に

浪人時代

浪人時代

平成26年(2014年)

浪人時代、再起を誓って共に戦った「よしゆきと愉快な仲間たち」

自由民主党 栃木県連相談役
タホス教育研究所 特別支援教育・GLCスーパーバイザー

現在

水害視察
水害視察

平成27年(2015年)

栃木県議会議員 14,390票を獲得1位当選
県政経営委員会 委員
議会運営委員会 副委員長
自由民主党栃木県支部連合会 副幹事長

関東東北豪雨の水害視察

平成28年(2016年)

文教警察委員会 委員長
自由民主党栃木県支部連合会政務調査会 副会長

平成29年(2017年)

生活保健福祉委員会 委員
議会運営委員会 副委員長
自由民主党栃木県支部連合会政務調査会 筆頭副会長

平成30年(2018年)

県政経営委員会 委員
監査委員

令和元年(2019年)

栃木県議会議員 三期目当選
生活保健福祉委員会 委員長
自由民主党 栃木県支部連合会副幹事長

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